オロと初めて会ったときのことは鮮明に覚えている。
2009年11月、岩佐監督と主人公の少年を見つけるためにダラムサラの「チベット子ども村」を訪ねたときのことだ。
この子は?と思わせる子どもたちと会話を交わしながら幾つかのホームを巡っていたある日、インタビューを受ける他の子を見つめているひとりの少年のまなざしに心を奪われた。
チベット本土から来たのか?両親はチベットに留まっているのか?と聞くと、くりっとした眼を不安げに見開きながら「yes!」と答えたその少年がオロだった。
監督にこの子の話を聞いて、と促した瞬間、監督も「おお!ここにいたか!」と内心叫んだのだと思う。オロ少年の澄んだまなざしはチベットから来た少年を描く「映画」の未来を一瞬にして望見させたのだった。
オロに映画出演の話をし、とりあえずの受諾を得たのだが、あとあと聞いたところ、「カンフー映画で敵と闘う映画なのかな、喧嘩は嫌いだし出来るかなあ・・・」と思ったそうである。
そのときのオロのあどけない表情に、その後オロが撮影の過程で見せたような陰影に富んだ少年の面影まで見てとったわけではなかったが、予感のような微風を感じたのは確かなことだった。
その日、ダラムサラのルンタレストランで岩佐監督は快活に映画とチベットについて語り続けた。映画『オロ』が始動した記念すべき日だった。
2010年2月末からの撮影日程も決まり、その年の長い冬休みをネパール・カトマンズの叔母さんの家で過ごすというオロをひとりでカトマンズまで訪ねることになった。ロケの開始に合わせてオロを陸路ダラムサラまで引率する役を振り当ててもらうように岩佐監督に直訴したのだ。
TCVでの出会いの他、オロの来歴や性格など実はなにも知らないままでいることに不安も感じていたし、最初にオロに声をかけた人間としてカトマンズから再び陸路でダラムサラに帰るオロと連れ立って同行の旅をしたいという願いもあってのことだった。
カトマンズの叔母さんの家で聞いたオロの境涯は、この美しい少年がなぜ?という驚きに満ちたものだった。映画の中でもオロ自ら語っていることだが、わずか6歳の子どもが愛する母親と別れての亡命の途次、ひとりの身寄りもいない故郷から遠い町シガツェに置き去りにされ、6ヶ月ものあいだ食堂の下働きで過ごしたというのだ。
着の身着のまま野外の草のむしろにくるまれての6ヶ月だったという。
叔母さんがそんな打ち明け話をしている間も、当のオロ少年は「何でもないよ!」という風にニコニコ笑っているのだった。
当然のことだが、僕にはオロがたまらなく愛しく思えた。
この車と汽車を乗り継いでの一週間の旅のなかで知ったことは、過酷な体験を経てきたオロが実はすこぶる聡明で、しかもおちゃめな少年だということ。そのことが映画の可能性をぐっと押し広げてくれだろうという確信を持てたことが嬉しかった。
驚きとときめきに満ちた長い旅のおわり、ダラムサラで岩佐監督と合流、いよいよクランクイン,撮影開始の時が来たのだった。
南 椌椌 Minami Kuukuu
1950年東京都生まれ。絵画・テラコッタによる絵本・造形作家。立教大学卒業後、独学で絵画をおさめる。92年から「桃の子供」のモチーフで創作をはじめる。2008年「チベットを知るための夏」実行委員。そこで岩佐監督と意気投合し、『オロ』制作の初期段階からボランチ(操舵士)として関わる。2009年3月、はじめてダラムサラを訪れ、とりわけ「チベット子ども村」に感銘を受ける。2011年3月11日の大震災後、被災地をまわる「ミニサーカス隊キャラバン」を組織、被災者を励まし支援する活動を展開中。