5月4日、岩佐寿弥監督が亡くなりました。翌日5月5日は江戸川区小松川区民館ホールで上映会でした。「メイシネマ映画祭」のトリで『オロ』が上映されました。上映後、岩佐監督の突然の訃報を観客に話しました。スタッフの話は涙声になりました。観客も泣きました。その後、「メイシネマ映画祭」の主催者・藤崎和喜さんから、その日の観客のひとりだった映画監督・編集者の四ノ宮鉄男さんの感想が転送されました。とてもすばらしい内容だったので、以下に紹介します。岩佐監督が読んだら、どんなに喜んだろうか…。
『オロ』 岩佐寿弥監督
四ノ宮鉄男(映画監督・編集者)
いい映画だった。いい映画だなあ。きっとこのような映画をいい映画と呼ぶんだろうなあ、と感じた。
友人から『オロ』を見たらいいよ、と薦められていた。で、どんな映画なの?と訊いて、説明を受けてもピンとこなかった。でも、この映画を実際に見て、しかも、ラストシーンを見て、ああ、そうなんか、と納得した。
オロはチベットから、ヒマラヤを越えて、インドにやってきた難民の少年だった。映画のラストで、オロが岩佐監督に、なんでこんな映画を撮るのか?と訊く。年寄りなのに、しんどくないか?と訊く。それに応えて、岩佐監督は、自分はチベットが好きで好きで、チベットのお祖母さんと少年を撮るのだと答えていた。ああ、そうなのか、と納得した。わたしは見ていなかったが、10年前に、チベットのお祖母さんを主人公にした映画も撮られていた。そのお祖母さんも、この映画のラストの部分で登場する。
そして、岩佐監督自身が、被写体として、この映画に登場されているのもすてきだった。
岩佐さんには、わたしが映画の世界に入ったばかりのぺえぺえの頃に助監督としてついたことがある。その後、一時期は激しい映画や、実験的な映画を作られていた。こんな穏やかな映画を作られるとは思わなかった。先輩に対して失礼な言い方だが、とても良い歳の取り方をされているんだなあと感じた。映画の中で見る岩佐監督の表情も、ふくよかで、穏やかで、安穏で、見ていて気持ちがすっとするようなすてきな表情だった。
それでも表現の手法にはいろいろと工夫をこらされていて、それが一層『オロ』の世界を広げていた。たとえば、ナレーションに当たるストーリーを、主人公であるオロ少年に語らせたり。ということは、撮影時には、もうナレーション原稿が出来ていたのだろうか。すごいなあ。
予備知識なしで見ていたので、最初は『オロ』の世界がよく分からなかった。だんだん、そして、後半になってだんだんくっきりとしていく。そして、ラストシーンで、ああ、そうかと納得した。前にも書いたが、なんで岩佐さんがチベットを撮られているんだろうなあ?と感じていたからだ。
ラストの少し前で、オロが草原を歩きながら、長い長いモノローグが撮られている。原稿があって、練習して、記憶して、そして喋るオロのモノローグなのかなあと思った。それとも、即興の、オロのモノローグなのかなあ。どうもそんな雰囲気だった。とても賢い少年だった。
はじめ、『オロ』の世界が分からなかった。だんだん、しかも後半になって、ああ、『オロ』の世界だと感じさせられてきた。映画って、そんなものなのだよなあと改めて感じさせられた。はじめから答えのわかっているような映画はつまらない。なんの予備知識もなくこの映画を見られて、よかったなあと感じた。
いままで、いくつもチベットの映画を見てきた。でも、それらは、運動をアピールする映画だった。独立とか、自治権の獲得とか、中国共産党からの解放とか。でも、この映画は違っていた。親しくて、暖かくて、チベットの解放への思いがとても熱く、わたしの心に沁みてきた。
友人がわたしに、見ろ! 見ろ! と言っていた思いが納得した。
いい映画だった。
この映画を見ていた時、岩佐寿弥監督が亡くなられていることを知らなかった。心からご冥福をお祈りしています。